ボルゲーゼ美術館の一室でベルニーニの「アポロンとダフネ」に邂逅し、 目前の彫像の流麗さを目で追うにつれ、やがて見る者は「出来事」としてのミュートス(神話)に不意を突かれる。 月桂樹へと変容しつつあるダフネの恐怖の表情と、恋情のままに追い縋ったアポロンの、夢見心地な、 世俗的と言っても良い表情との間には、乗り越え難い溝がある。その深淵から、人は後ずさり、自身が生き得る日常的な時間の裡へと退却する。
 オウィディウスの「転身物語」は、恋を拒絶するクピドの矢に射られたダフネの日々を「ダフネは、森の暗がりや自分がたおした獲物の野獣にのみ喜びをおぼえ、処女神ポエペと狩りの腕前をきそいあおうとした」(田中・前田訳) と描いている。ダフネが抱かれたその森は、バタイユが「わが母」において「お前はあの人の息子じゃないわ。森の中であたしが感じた苦悩から生まれた果実

よ」(「聖なる神」生田訳)とピエールに告げた「森」に外ならず、2つの「森」は時を隔てて繋がっている。
 神々の放恣のままにアポロンが女を狩る意志と速度を置き去りにして、ダフネがダフネである為の死を賭した跳躍、即ち月桂樹への変容がダフネを異世界へと硬化させる。そのダフネのミュートスを、ベルニーニは「事件」として大理石から掘り起こした。マリオ・プラーツはベルニーニを評して「感覚を超えたものとの隔たりを打ち壊し、すべてを 五感の及ぶ領域内へと置き換えた」(「官能の庭」若桑他訳) と言う。「超越的なものの世俗化を実現することによって 大理石に不可視の形象をまとわせ、そして不可視の形象を死すべき感覚に委ねた芸術を創出した」(同) のであると。by びれいぽいんと店主

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