フランシス・ベイコンにおいて描くことは「賭け」であった。 絵画の制作にあたり、あらかじめ解読されるべき「物語」が想定されることはない。一方、ベイコンは「芸術におけるリアリティーとは、何か非常に作為的なものであって、 芸術家が再構築しなくてはならないもの」だと言う。 ベイコンは、何かを手がかりにしたモチーフから描き始めるが、そのモチーフは制作が進行すればしだいに消えていき、 あとには「残留物」が残る。「この残留物をリアリティーと言っている」、更に「残留物」は出発点となった対象と多少のつながりがあるかもしれないが、たいていの場合ほとんど無関係なものになる、と断言する。 (INTERVIEWS WITH FRANCIS BACON by David Sylvester 小林訳,筑摩書房) そして「残留物」は、絵の具を画布に投げつける等による

「偶然性」の導入と、文化的「覆い」を剥がされた「肉塊」的形象が齎す神経組織への直接的な刺激を通して、無遠慮に、しかしガラスを隔てて、我々に届けられる。
 ジル・ドゥルーズは、ベイコンの「三枚組絵」を方法論的に捉え直し、「残留物」が作品へと生成するプロセスを確認している。「最終的には、ベイコンの場合、三枚組絵しか存在しない。 独立した別の絵の場合でさえ、より明白な場合もあれば、あまり明白でない場合もあるが、すべては三枚組絵として 構成されている」(「感覚の論理」山縣熙訳、法政大学出版局)     
 「三枚組絵」、それは「残留物」の潜在的可能性により生成されるべき作品の、その「射映」(Abschattung フッサール)に他ならない。  by びれいぽいんと店主

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