「音楽に未完成の楽曲など存在しない」と、たしかアファナシエフが語っていた。ブルックナーは第9交響曲の制作途上で死去し、未完の第4楽章の原稿は散逸。それを第三者が集めて補筆し、完成させた。その「第4楽章付」第9をラトル/BPOが演奏したCDが発売された。
 第9交響曲は厳しくも美しい。自身の情熱を傾けた全人生が無に帰する程に圧倒的な、超越的「外部」の存在を認識し(第1楽章第1主題)、その何たるかを問い、自らに別れを告げる音楽でもある。第1楽章第2主題には無垢の魂の戦いと遍歴の果ての思いが、諦念を伴って甦るかのような歌がある。スケルツォは虚無の底から響く宇宙的躍動の、正に諧謔的な表現。また第3楽章は、稜線のように屹立する超越的な存在を畏怖し、帰依を願いながらも、自己放棄を孕んで渾然と消え果てるかのようだ。

戦慄的なまでに内的な体験の音楽がここにはある。
 第4楽章の付加は文章で言えば述語の部分を加えるに等しく、作品の根本に係わる深淵を生じさせる。すでに私たちはクレンペラー/NPOやカラヤン/BPOの演奏において、安易な感情移入による疑似精神性を排し、存在論的「外部」に対峙するこの作品の本質に出会っていた。そして今は贈与されたフィナーレに、慰藉の心(第3主題)を確認することができる。しかし、壮大な交響的大伽藍の内部に第1楽章第1主題が回帰して、全休止となるその場所に、未だ立ち尽している存在に気付かされる時、やはり「音楽に未完成の楽曲など存在しない」と言うアファナシエフの言葉も反復するのか? と再度、問うてみたくもなるのである。by びれいぽいんと店主

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