新古今和歌集が編まれた時代は、日本の政治権力が朝廷から武家政権へ移行しつつある時代だった。言語芸術が世紀末的とも言うべき作品群へと結晶する一方、鎮護国家の役割を担ってきた顕密仏教は、人心の拠り所としての機能を形骸化させつつあった。高僧も自身の人生の終局は阿弥陀経に縋っていたのである。(「西の山に月はいりぬる暁にただ阿弥陀仏の声ぞのこれる」慈円)
末法の時代。たれもが悪を生きたのであり、自力聖道門における偽善の自覚は人心に一層の不安をもたらしただろう。法然から親鸞へと受け継がれる悪人正機と他力の論理には、時代の要請に応える合目的性があった。またその意味では正に「大乗」の極致でもあった。しかし阿弥陀如来の第十八願への信に正当性のすべてを賭ける
姿勢は一種のデカダンスである。デカダンスを必然ならしめる個人的な契機が捨象されて、世俗性そのものの正当性・大衆運動の拠り所として機能するようになると、後世の一向一揆のような現世的パワーの支柱としての存在へと転化することになる。
ブッダ自身の説いた言葉の色濃く残る初期経典(たとえばパーリ語直訳の相応部経典等)を確認すると、ブッダはあくまでも認識のプロセスと苦の発生・集積のプロセスを相関項として捉え、その理解と滅尽の道を繰り返し説き続けている。その場所からみると第十八願に依拠する大乗・浄土門は、本質的或いは潜在的に、巨大な現世利益を志向・肯定する絶対的理念である事が解る。
by びれいぽいんと店主
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