オウィディウスの「転身(変身)物語」においてダフネは月桂樹に変身する。
そしてベルニーニの彫像「アポロンとダフネ」(ボルゲーゼ美術館所蔵)は、追い迫るアポロンがダフネを捕捉せんとする、まさにその時の、変身するダフネの断末魔の表情を捉えている。
彫像は外面としてのみ存在する。「アポロンとダフネ」におけるその外面は、追う男と追われる女が疾走してきた時間の連続性が、女を月桂樹へと変身させんとする力とともに断ち切られる、その受動性の結晶に外ならない。
受動性の極致は意思の死と言うべきであるにしても、あまりにも唐突に断ち切られた意思は反転して、外面に刻印される。
彫像として結晶した外面から心的な意味作用を読み取る試みは、私たちの視線が要求する妥当かつ唯一の方法 である。
読み取るべきダフネの表情は、ひたすら恐怖に
覆われている。とまれ。その恐怖は、アポロンによって捕捉される事態に対する恐怖だろうか?
それとも自身の人間としての生の終焉を俄かに悟った故の事だろうか?いづれにしても生き残るのは神々の長の息子であるアポロンであり、河辺の神にすぎないダフネの父は、月桂樹へと娘を変身させて娘に死を齎すのである。
エリアス・カネッティは「群衆と権力」において人間を「群れ」として捉えた。「群れ」としての人間に内面はない。個々の内面は捨象され、残された外形、即ち類としての人間に刻印された意味作用として「変身」を位置づけ、「変身」の痕跡こそは太古から続く時間において人間を「人間」として生き残らしめた謎を解く鍵であるとカネッティは語っている。
by びれいぽいんと店主
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