Fontainebleau-Avon駅からのバスは近くの工場へ通う労働者で混み合っていた。リヨン駅からの列車内で言葉を交わした宮殿職員の姿がなかったら、フォンテーヌブロー城への道行きに少し不安を覚えたかもしれない。
まだ観光客のいないイギリス式庭園をしばらく歩いた後、館内に入った。心引かれたのはグロテスク装飾の施された白銀色の壁面が美しいマリー・アントワネットの閨房である。優美なグロテスク装飾に守られたその空間に、孤独な王妃は幾ばくかの自由を感じ得た筈である。
アドルフ・ロースは20世紀初頭、「装飾はもはや我々の文化と有機的なつながりがないのだから、それはもはや我々の文化を表現」しない(「装飾と犯罪」伊藤哲夫訳)と書いて装飾無用論を唱えた。一方、世界最古の建築書たる「ウィルトルーウィウス建築書」(森田慶一訳)は「真実なものを手本とした絵が今は不当にも良しとされ
ない」と、古代ローマにおけるグロテスク壁画の流行に苦言を呈している。更に「これらは現に存在するものでもなく、存在しうるものでもなく、かつて存在したものでもなかった」との記述がある。建築をめぐる合理主義とリアリズムの、時代を隔てた幽かな共鳴が聞こえる。
しかしドムス・アウレアの「グロテスク」を、ラファエロとその工房の人間たちは極限まで洗練させてヴァチカンとローマやフィレンツェの宮殿を飾り、マリー・アントワネットの閨房へも伝播させた。「グロテスク」の隠された/潜在的な存在価値、即ちその空間を支配する正統/正当な権威を非明示的に相対化してしまう意味論的効果を、教皇レオ10世もマリー・アントワネットも、それぞれに、享受したのである。
by びれいぽいんと店主
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