日本の桂離宮や待庵は、簡素のなかに美と精神的な奥行を捉える「器」であり「場」であり、「建築」であった。これに対しヨーロッパには、それ自体が歴史を生成する意志であるかのように存在する建築がある。ゴシック大聖堂(カテドラル)はその最たる物かもしれない。
 中世ヨーロッパの農民の多くは未だ、ケルト的ゲルマン的ノルマン的等々の多神教的風土を生きていた。一方11世紀から12世紀にかけて、フランス全土の6割以上を占めていた森林は2割に減少した。修道士たちは森林を伐採し、大開墾運動を垂範した。自然界を超越する唯一神しか認めないキリスト教は、人々の喪われた森林への憧憬を立ち並ぶ石柱の連なりに重ね合わせ、「最期の審判」の恐怖を新約外典「ヤコブ原福音書」の聖母マリア復活譚等の受容によって緩和しつつ、人々の信仰をあつめた。更にサン・ドニ修道院長シュジェにおいて典

型的にみられる聖職者の世俗的野心と、都市住民の虚栄心をエネルギーとして、大聖堂は歴史的に生成された。
 大聖堂には、相矛盾する象徴的要素のグロテスクな共存があり、それが彫塑的物質としての建築の「体」を為していた。そして一神教の神への恐れも、喪われた神話的世界への郷愁も容れて、暗色で赤紫色の「非自然な」光で満たした。「この光はいわばこの建築を別の体に移し換える[固体の建築を気体の建築に移し換える]」(ヤンツェン「ゴシックの芸術」前川道郎訳)ゴシックのデイアファーレンな空間限界に身を置いた人々は「聖なるもの」の顕現を、身体の感官を通して感じとる事ができた。ゴシック建築は有限なものの集積を無限なものへと転化させたのである。by びれいぽいんと店主

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