住居の起源には「洞窟」がある。しかし建築としての「洞窟」には「内部空間」はあるが外観はない。(「日本建築の空間」井上充夫)。 洞窟を形成する実体は自然の地形の内壁であり、建築空間が実体の相関項として存在する限り、洞窟は謂わば限界建築であって外部空間の欠如した無限の意識内在的空間として存在する。プラトンが「国家」で示す洞窟の比喩が成立する所以でもある。
 洞窟の内壁に何ものかを描く時、そこに表象された形象は、フッサール的に言えば「内在的超越」であり、また物質化した観念でもある。彫塑的形象であれば容易に呪術的実体に転化し得る。それはゴシック大聖堂や、 F.L.Wrightの建築の彫塑性/呪術性の源泉にもなった。
 一方、近代建築の主潮は、内部空間の抽象化・合理化 を志向し、呪術性・宗教性を捨象するベクトルを共有し

た。そうした近代化・合理化の時間軸上に、改めて彫塑的存在を定位し直す時、私たちは近代的洗練の対極としての「グロテスク」を発見する。それは、抽象化・合理化へと向かうベクトルの普遍性をその足下からひっくり返し、「内在的超越」としての洞窟の内壁に表象され、生成し続けるものの普遍性を、 私たちに問いかける。
 その反転したベクトルは、人工と自然の中間物を生成するエネルギーであり、植物と動物と人間の合成であり、神の御業による生成の起源への回帰となる。それらの実体化としての彫塑性復活へのベクトルを、グロテスクへの志向として私たちは受けとって来た。 ヴァチカン宮殿のロッジアにおけるラファエロから、Jean Paul Gaultierのモードまで。   by びれいぽいんと店主

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