3月の穂高はまだまだ冬山である。人を容易には寄せつけない。それでも雪の稜線には人の姿がある。雪山へと人が向かうのは、風雪による困難さ故にピークハントの満足感もいや増すからだろうか?そうかもしれない。が、それだけではないようにも思う。

 雪山は美しい。その白い輝き。その静寂。雪原に裸木の立ち尽くす姿。岩と雪の織りなすストイックな表情。それらを感じながら歩みを進める時、人は至福の異空間を横切っている、自分自身に気づくのかもしれない。

 横切っていく、雪の白さの上で、聞こえてくる音楽があるとすれば J.S.Bachになるだろう。

人智の限界を超えた自然の営みと、人の孤独な心が、
ともに摂理とでもいうべきものの延長上にあることをJ.S.Bachは教えてくれる。

 雪の世界を私たちが横切っていく時、実は雪の白さの方が、ひとすじの旋律のように私たちを横切って行ったのだということを、私たちは知ったのかもしれない。
シャコンヌをハーンが奏でるように。リヒテルが
平均律をピアノに託すように。

   (写真: 3月22日、西穂高岳への稜線にて。
            びれいぽいんと店主)

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