日本の近代建築の黎明期に、堀口捨巳はギリシャに渡り、修繕の為に横たえられたパルテノンの列柱を間近に見て、「その寄りつくすべもない美しさの中に、うちのめされて、柄にあう道を探さざるを得なかった」と述懐している「現代建築と数奇屋について(昭和29年)」。
 堀口は「建築の非都市的なものについて(大正15年)」に於いて、「非都市的な建築は、わが国においては都市的なるものになんら見るべきものがないのに比して、非常に優れた精練された徹底した伝統を 作り上げている。その中で最も注意をひくものは茶室建築であろう」と述べた。ルソーの「自然に還れ」に発する文脈の延長上で、より「自然」に近い材料をもって「機能」を簡素に具備せしめ、悟りの内面的な深さを「わび」「さび」の美意識により表したのが「茶室」である、と

堀口は解釈する。「機能を持つ姿が、その持ち方に美を作り出す」とみる堀口の思考は、機能的/非機能的、都市的/非都市的という2項対立軸をクロスさせ、機能的且つ非都市的象限に「茶室」をプロットしつつ、そこに存在価値を見出すのである。
 しかし、16世紀末の日本に於ける最も先鋭的な都市であった「堺」で茶の湯が確立された事情を知る私たちには、 ポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリゲスが「日本教会史」に書いた「堺」の茶人たちの「市中の山居」とは、極めて都市的・人為的な 文化意思であったと知らざるを得ないし、一期一会の宿命性・一回性の持つ都市的・人為的な厳しさに、やはりを思いを馳せざるを得ないのである。 by びれいぽいんと店主

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