ラ・ロシュフーコー通りのギュスターヴ・モロー美術館は、かつての居館の公開という点ではヴォージュ広場のヴィクトル・ユゴー館も同様だが、その佇まいは、内装調度に趣味性を良くも悪くも欲するまま反映させたユゴーに比べ、 モローのそれはストイックとさえ言って良いかもしれない。「出現」に代表されるファムファタル(宿命の女)の系列をはじめ、プルーストやユイスマンスの 世紀末文学における美的志向の源泉ともなり、彼の有名なロベール・ド・モンテスキュー伯やサラ・ベルナール等から喝采された幻想的耽美的な作品を描き続けたギュスターヴ・モローの私生活は、デカタンスへの惑溺とは程遠い、むしろ学究肌と言うべきものであったとの印象が残る。では、逃れえぬ官能の呪縛を神話的題材に託して、美的幻想的に描き続けたモローの作品世界と、

作品を産出し続けるモローのストイックな日常を支える意識との間には、いかなる内的必然が存在したのか?
 19世紀は産業革命を経たブルジョワジーの時代であって「近代」の骨格が固まった時代であり、画家で言えば近代絵画の父と尊称されるセザンヌの時代である。しかしモローは、近代的価値観に逆行するかのように古代ギリシャやキリスト教に題材を求め、人々がまさに忘却せんとしている神話に埋め込まれた人間の魔的な宿命から目を背けることはなかった。モローを象徴主義と名指す時、たとえば晩年の水彩画「聖アントワーヌの誘惑」がセザンヌの同名作品と比べてさえ、むしろ新しく、現代の抽象画の先駆とも見える事を、私たちは記憶に止めて良いのではあるまいか。 by びれいぽいんと店主

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