かつて小林秀雄が「ニイチェ雑感」(「作家の顔」新潮文庫)に、「発狂直前の或る日、乱暴な馬車屋が、馬を虐待するのに往来で出会い、彼は泣きながら走って、馬の首を抱いた」と書いたニーチェの逸話があります。ニーチェは以降、狂人として一生を終えるのですが、その逸話に触発されて、タル・ベーラ監督が撮った「ニーチェの馬」(原題はThe Turin Horse)という映画を観てまいりました。
映画はモノクロで、冒頭、馬車を曳く苦役の馬を大写しに執拗に捉え、その映像の持続から圧倒的な存在感を描出しています。馬に刻印された存在の痛苦への同情と神の意志が通底したかのように暴風の吹き荒ぶ中、馬の飼い主である父娘の日常の反復を通じ、水は涸れ火も取り上げられ、人間の生きる糧の尽きるまでの6日間が
描写されます。
ところでタル・ベーラ監督は、たしか父娘の家を訪れた人物に、「人間は何にでも触れ、何でも手に入れ、すべてを堕落させた」と語らせています。タル・ベーラの哲学的スタンスは措くとして、この作品では神の死を宣告したニーチェに対するルサンチマンが、制作の動機づけに影響し影の主題ともなったと捉える事が可能で、邦題にニーチェの名が冠された事にアイロニカルな趣きを感じるのは私だけではないかもしれません。
by びれいぽいんと店主
(第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞・国際批評家連盟賞受賞作品 →「ニーチェの馬」公式サイト)
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