ブルーノ・タウトが桂離宮を「発見」し、日本の建築はヨーロッパ近代の評価尺度の相関項となった。エキゾチックな特殊性としてではなく、普遍的な文化価値としてプロットされたのである。それは「発見」された側が発見者自身の眼差しを超克する可能性を有する、双方向的な文化史的エポックでもあった。では未知のディスクールとしての「日本的なるもの」、和洋折衷的に近代に取り込まれる限りにおいて生き延びるのではなくヨーロッパ近代を相対化し得る存在としての「日本的なるもの」、は果たして存在したのだろうか。
日本的な美意識は、確定された客体自体よりも、移ろいゆく現象の刹那における美の表れを指向する。だから回遊式庭園にみられるように、時間と視点の変位が潜在的にビルトインされた空間の創出に創意を凝らす。そし
て、そこに内在する変位はズレの痕跡として視覚化される。桂離宮の雁行する書院の外観は、東南に面するすべての面が互いに差異を内包し、それをズレとして視覚化している。利休の待庵の内壁東面では、下地窓の大きさの差異とこれを廻る線的意匠が必然としてのズレ自体を凝縮させ、2畳の空間の一面を形成する。重層化されたズレの痕跡が日本的な美意識を醸成するのである。
時間の契機が、空間を外部(設計者または権力者の眼差し)によって規定され閉じられる事を回避させ、そこを経廻る者の視点に応じて立ち表れる可変的な空間へとズラしつづける。その反復こそ「日本的なるもの」の本質、コンポジション、と言うべきなのかもしれない。
by びれいぽいんと店主
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