ラファエロはローマ教皇レオ10世に長文の手紙を書いて古代建築の保護を求めた。「何と多くの教皇たちが古代神殿、彫像、記念門、その他の建造物、つまりそれらの建設者たちの栄光(の印)を廃墟と化し、崩壊させるのを許されましたことでしょう」(「教皇レオ10世聖下殿へ」小佐野重利訳)「現在目にするこの新しいローマのすべては、それ自体いかに壮大で、いかに美しく、また邸館、教会および他の建築物でいかに飾り立てられていましても、古代の大理石を焼いて作った石灰によって建設されているのであります」(同)
 ドムス・アウレアへの傾倒を俟つまでもなく、ラファエロの文化意思は宗教的教義と正当性に制約された芸術受容からの脱却を求めていた。それはキリスト教的一神教的正当性とローマの政治統治権力との相関的支配構造

の狭間に、美的芸術的創造と職人的技能集団との相関構造を自立させるプロセスであり、16世紀のローマにおけるラファエロの潜在的使命でもあった、と言って良い。
 「古代の人々の手本を鮮烈にとどめさせながら、古代の人々に肩を並べ、さらには彼らを凌ぐようになるように即刻あなた様がお心懸けられますことを、ご英断ください」(同) ラファエロによるローマ教皇レオ10世への手紙は既に「交渉」なのであって、帰依すべき対象の代理者たる宗教的権威に恭順の意を表するものではない。
 「そのようになされることが、全世界の誠に慈悲深い牧者、いな、最良の師父たることであります」(同)ラファエロはバチカンにではなくパンテオンへの埋葬を遺言して37歳の生涯を終えた。  by びれいぽいんと店主

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