「けがさじとおもふ御法のともすれば世わたるはしと成るぞかなしき」という慈円の歌がある。山上宗二は「この歌を宗易老、常に口吟みにて候。世上、末の世になり、宗易を始め我等式まで茶湯を身過ぎに仕る事、口惜しき次第なり」と記している(山上宗二記)。 
 秀吉の側近・茶頭名人として生きる道は、地位と実利を求める事と茶の湯の美学を追求する事の表裏を同時に生きる道に外ならなかった。それを口惜しき次第と書く時、宗二は、師利休が政僧慈円に事寄せて自身を正当化する姿に苛立っているのである。その山上宗二が秀吉に殺害された折、利休はその凄惨な死を受け入れざるを得なかった。
 秀吉が見たいという庭の朝顔の花をすべて刈り取り、一輪のみを茶室の花入れに挿して秀吉を迎えたという

利休の逸話がある。これは自らの美意識を現世的政治的権威の上位に置く事を利休が宣言したに等しい。その宣言は、自身に与えられた現世的地位を手放す事なく秀吉へと差し向けられ、利休自身は浄化されたかのような特権的な境地を自らの居所とした、とも言える。
 直観力の鋭い秀吉は、利休の心を正しく捉え得た筈で、それだけに、怒りは深くもあったであろう。利休を死に追いやった直接の理由であるべき大徳寺山門の利休木像の一件は、利休の心の在り方を廻る両者の潜在的な関係の遷移から、起こるべくして起こった必然でもあった事を、山上宗二の記述は私たちに示唆するのである。

by びれいぽいんと店主

info ! → 無料保険相談受付中! 0120-58-2025