「美しきもののみ機能的である」と丹下健三は語った。即ち「生活機能と対応する建築空間が美を実現し、その秩序を通じてのみ、建築空間は、機能を人間に伝えることができる」(「人間と建築」)と。 美は真理が生じる事に帰属して出現する、とするハイデッガーの「芸術作品の根源」に通底する思考である。その場所から、「畸形的な経済復興のために商業的投機の要求から、多くの投機的建築が建設され、それが真に国民が要求する建築の建設を阻害してきたのも事実であり、とくに国民のもっとも強く求めているハウジングは間に合わせ的な再建となってしまった」と丹下は書いた。 また一方、丹下には、桂離宮の創造の本質を、「上層の系譜の伝統形式と、庶民層の文化形成に向かうエネルギーとがぶつかり燃焼してなしとげられた」と捉えると同時に、柱と梁 

からなる日本建築の、その後の技術的停滞と、「もののあはれ」から「わび」「さび」に至る日本的美意識の洗練を相関的に捉えて、その消極性を批判する視点があった。 即ち「自己の置かれた状況をすべて宿命的なもの」と見て、「ひとつの美的、感性的形式のなかに自己の認識や感情を投げこんで、 自己満足を味わい、自己を外界にぶつけるという積極的行動を否定」する態度を、デカタンスへのプロセスと見て否定するのである。
  さて昨年の事、江戸東京たてもの園で宮崎駿の映画の建造物展がたいへんな人気であったらしい。空想の建造物に「懐かしさ」を感じながら、多くの人が映画館や建造物展に足を運ぶ今日の状況を、 果して丹下弁証法は、どう捉えるだろうか。 by びれいぽいんと店主

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