み渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋のゆふぐれ。この定家の一首を、後鳥羽院は隠岐本「新古今和歌集」では採らなかった。王朝文化を統べるべき配流の後鳥羽院の心に、あまりにも怜悧な定家の一首は痛み無しに想起されることはなかったかも知れない。そう言えば「見渡せば」は後鳥羽院の好んだ言葉でもあった。
 三夕の一首、心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮れ(西行)は、いかにも新古今らしい三句切体言止の文体で、定家のそれと同型である。しかし、表出される意味作用はまるで違う。西行は、僧身となった筈の自分にさえ、鴫の飛び立つ夕暮の沢に「あはれ」は心深く感じ取とられる、と詠じている。それは後鳥羽院と同じ文化世界を生きる心の建て付けが、僧身となった後も変わらぬ事の表明でもある。しかし、定家では

別の文化意志の働きがある。
 「花」「もみぢ」は王朝文化が育んだ美的象徴に違いないが、それを一刀の下に切り捨てるかの如く「なかりけり」と定家は言う。それも本歌の冬を「もみぢ」あるべき秋に変えて、である。浦の苫屋はただそこに見据えられ、一旦は喚起された「花」「もみぢ」のイメージとともに「あはれ」の余情さえ無化されたかの様である。王朝的言語を脱ぎ捨てながら、そこに見えてくる裸形の美を、定家の言葉は垣間見ようとしたのだろうか。だとすれば、そのベクトルを、後鳥羽院が配流の地にあって「見たくない」と思っても不思議はない。

by びれいぽいんと店主

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